東日本大震災以前の太陽光発電は公共用・住宅用に関わらず蓄電池が高額で採用出来なかったため、停電時には使用できないものがほとんどでした。そして市場的にもそれでよしとの風潮がありました。しかし震災の後、車メーカーの参入などにより蓄電池の考え方も変わり、停電時の電源として利用可能なものとなりました。
福島県建築士会女性委員会では年に一度県内の女性委員が総会を兼ねて集まり、勉強会を行っております。昨年の大震災直前もエコをテーマにそれぞれの支部でその準備勉強会を行っており、浜通りの三支部は太陽光発電の未来について話し合っていたところでした。その時に一つのコミュニティーが一つの発電配電制御システムとして供給を行うスマートグリッド構想のお話しがありました。近いけれどすぐには来ない絵空事と考えていたその未来の姿が、震災を契機にものすごい速さで現実のものとなってきているのを報道で見るたびに驚いております。
今年の女性委員会の集まりでは、土湯温泉で行われている地熱発電の利用を勉強してきました。担当者のお話しによると、国が今回の震災を契機に自然エネルギーに対して予算を割いたおかげで現地調査費用が捻出でき、土湯温泉が全国でも珍しい地熱発電に適した場所であることが分かり、海外も含めたメーカーとの協議を行って事業化への道筋ができたそうです。
震災がなければというのは国の怠慢だと思うのですが、結果的に震災が自然エネルギー利用に大きく動くきっかけになったということだと思います。私たちの想像を超えた未来は、また世の中の動きを一瞬にして変えてしまい、今日の常識が明日の非常識となってしまうかもしれません。
祖父がいわきに戻り建築士事務所を構えてから60年が過ぎ私で三代目。このように長い間会社が存続していられるのは、周りの皆様方からの支えがあってのことと感謝しております。父から聞く祖父の代からの様々な出来事は、大変なことがあったとしてもそれが永遠に続くものではなく、今が辛くとも投げ出すことなく使命を全うすることが一番大事なことだと教えてくれます。そしてその幾多の困難を建築士同士の組織の力で乗り越えてきたのだと聞いております。今回の震災でも現在いわき市の災害復興住宅の設計を県建築設計協同組合いわき支部にて行っておりますが、震災でなければ携わることができないくらいの大きな規模ですので、嵐支部長をはじめ諸先輩方のご指導をいただきながら設計事務所同士情報の共有を図り組合員が共に進めております。
震災以前から行ってきた地震に強い街づくりに加え、原発事故を受け私たち福島県民は放射線に対しても考えなければならない立場となりました。ばらまかれた大量の放射性物質への対策は、土木的な大規模除染だけではなく、県内住宅の約80%を占める木造住宅の居住スペースにおける放射線の効果的な遮蔽方法の提案など、私たち建築士が提供できる環境改善の提案もたくさんあるものと考えます。
技術者として子を持つ母として、子供たちが住み続けるための環境を整えるお手伝いが少しでも果たせればと考えております。そして思うように進まないことにも諦めない強い心とそれを頑張り通せる健康な体で、家族や友人たちが幸せに暮らせる大震災以前よりも住みよい都市いわき市を建築士同士力を合わせて共に創ることができればと思っています。
Posted by 飯塚 静栄
Posted by 飯塚 静栄
Posted by 木村 壽夫
Posted by 木村 壽夫
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Posted by 木村 壽夫
Posted by 木村 壽夫
Posted by 木村 壽夫
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