薬師寺の堂塔が復元された。
かってこの伽藍で唯一残っていた東塔を「凍れる音楽」と賞賛したアメリカの東洋美術家フェノロッサがいた。
彼は政府お雇いの外国人教師として東京帝国大学で教壇に立ちながら、京都・奈良に通い、日本の美に触れ、岡倉天心とともに寺社・旧家の調査などにも関わり、のち、仏教に改宗し三井寺に眠っている。
仏塔は釈迦のお墓を視覚化したものが原型となり、中国に伝わり、日本に伝えられた。中国の仏塔は人が直接登るための寸法が採用されズングリとした印象を与えている。日本でのそれは、より神聖化・シンボル化した仏舎利の化身として、より高く、より美しくそこに存在している。
この仏教建築は大規模神社建築にも・住家建築にも刺激を与え日本の気候・風土に適した軒出の深い、床の高い建築文化が醸成されていった。
私たちは、この醸成された日本建物に接すると、とても落ち着き癒される。これは長い年月をかけて、生まれながらに体にしみついたものではなかろうか。この空間に接することこそが、日本の文化が次へとつなががっていくのではないだろうか。
私の父も国宝解体修理報告書や先達の教えなどを拠りどころに寺院・社寺の設計監理を業として半世紀勤め他界いたしました。父の背中を見続けて、門前の小僧よろしく口伝により、規矩術のいろはを教えられて参りました。
大事なことは、先ず決まりを覚えることからでした。約束を覚えることでした。今振りかえてみると、それは早く伝えるための便法なのですね。理屈は後からついてきました。理解が勝手に出来てくるのです。
今三代目が修行中です。はたして、私は父のように背中で教えられるでしょうか。
この建築文化こそが後世への最高の贈り物となりますように。
Posted by 飯塚 静栄
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Posted by 木村 壽夫
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