ちちのみの父に似たりと人がいひし
我眉の毛も白くなりにき 天田愚庵 作
冒頭の歌はいわきの生んだ偉大な歌人であり、書家であり、僧侶であります愚庵の作品です。還暦となり、昨年父を見送り、歌がしみじみと心にしみて参ります。
「愚庵をご紹介いたします」
柳内守一は、「愚庵物語」のまえがきの中でいわき市の松ヶ岡公園の碑を紹介し次のように述べています。
「愚庵は嘉永7年7月20日平藩主安藤信正の家臣甘田平太夫の五男として平城下に生まれた。初めの名は甘田久五郎、後に天田五郎と改めた。十五才で戊辰の役に出陣中、父母妹が行方不明となる。その後所在を尋ねて全国を遍歴すること20年、その間山岡鉄舟の知遇を受け、また一時清水次郎長の養子となった。明治20年滴水禅師によって得度し鉄眼と号し、その後京都清水に庵を結んで愚庵を名乗った。漢詩の外に万葉調の和歌を能くし、正岡子規に多くの影響を与えた。明治37年1月17日51才をもって伏見桃山にその数奇な一生を終えた。」
「50年の生涯を自由闊達、しかも一陣の風が吹き抜けたようなその跡には、詩歌墨蹟の他は、1銭の金子、一枚の借用書もなかったし、自分の墓さえも残そうとはしなかった。この多欲の世にあって見事というよりほかはない愚庵の生き方は、竹に節目があるように、少年、青年、壮年、晩年のそれぞれを、懸命に生き抜いたということでしょう。」
「愚庵が、西国観音霊場を巡礼した旅日記「巡礼日記」は、明治の「奥の細道」ともいわれ、その一部は、当時、中等学校国語の教科書に採用されました。」
愚庵の居宅は、冒頭の松ヶ岡公園に移築復元され、今桜吹雪の中に建っております。
故郷の偉人の一人を紹介し、歴史の中の自分を感じるこのごろです。
Posted by 飯塚 静栄
Posted by 飯塚 静栄
Posted by 木村 壽夫
Posted by 木村 壽夫
Posted by 木村 壽夫
Posted by 木村 壽夫
Posted by 木村 壽夫
Posted by 木村 壽夫
Posted by 木村 壽夫
Posted by 木村 壽夫